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2011.05.07 Saturday

滋賀県 鏡神社・鏡山(竜王山)

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    4/23、滋賀県の東側を先に回ると決めたので、滋賀県竜王町の「鏡神社(かがみじんじゃ)」に向かいしました。

    なぜこの「鏡神社」に来たかというと、この後に登る「鏡山(竜王山)」の前にご挨拶だけの目的でしたが、来てみて驚きました。

    なぜ驚いたかと言うと、移動する車の中で皆さんに話していた事をまずお話しますね。

    昔々、太古の時代に琵琶湖に「銅鏡を沈めて拝む民族」が住んでいましたが、近年、その銅鏡がたくさん見つかり、歴史学者たちが調査を始めています。

    ただ歴史学者たちは、銅鏡を鎮める方法で拝む民族を知らなかったので、現在も謎のまま、銅鏡調査を進めているようです。

    以前、私が大神様と対話した時の話をしますが、この民族は山を越えた「駿河国」あたりに船で着いた民族で「太陽神信仰」をしていた民族でした。

    当時、日本に居た先住民は山で狩りをしたり魚を採って食べるだけの狩猟民族でしたから、火を上手に操る人たちを見て敬服し、僕として一緒に暮らし始めました。

    この民族は高度な農耕文化や青銅器技術を持っていましたので、琵琶湖の周りに大きな村を形成していましたが、ある時、山の噴火によって琵琶湖の水位が一気にあがり、ほとんどの人たちは琵琶湖に飲み込まれてしました。

    実は、銅鏡を琵琶湖に沈める意味は、御霊鎮魂の意味と、銅鏡を鎮める事で琵琶湖を神鏡として祀り、天のアマテラス様と繋ぐ儀式の意味があります。

    この民族は、中国地方から渡ってきた刺青文化を持つ「青銅族」だと思われます。

    沖縄の一部に記録が残っていますが、全身に刺青をいれたこの民族は高度な知恵を持ち、自分たちが守り続けた太陽神をこの地に繋ぐためにやってきた民族です。


    「鏡神社」の由緒を全く知らずにこの話をしていたのですが、鳥居をくぐって驚きました。

    すぐに神様が、自分たちの事を正しく理解してくれた事にお礼を言ってくれたのです。

    この瞬間に、知識が確信になりました。





    本殿に向かう左側には、「祓戸神」がありますが、これがまた素晴らしい!

    大きな神エネルギーが天にまで繋がっていますので、ここで全員の禊をしてから本殿に向かいました。

    一人の巫女は、使い古されたような黒いサヤに収まったたくさんの刀を受け取りました。

    過去の思いや御霊たちの戦い、争いを納めて下さいという意味です。



    本殿で祈ると、女性の神女たちが儀式をしている情景を見せてくれました。

    現在の御祭神は、『天日鉾命』(あめのびこのみこと)。

    日本に渡来文化や技術を広めた祖神(おやがみ)です。

    のちに近江源氏 佐々木氏の一族 鏡氏(かがみうじ)が崇敬して護持したと伝えられています。

    鏡のエネルギーを琵琶湖へおさめることで、照り返す鏡のエネルギーで、湖底(地底)と天とを繋ぎ、天〜次に向かう鏡山〜ここ鏡神社〜琵琶湖のラインで通す祈りをしました。

    そして、一切戦わなかった民族、京都にも出ずに表に出なかった古い古い民族と覚えておいて下さい。

    この民族の役割りは、一切、戦わず、神に授かった様々な技術や文化をこの日本へ伝える為にやってきた民族なのです。


    12:30、雨が降り続く中、「鏡山(竜王山)」標高384mの登山口を探しました。



    神門を開いて登り始めると、途中から周りの情景が一気に変わりました。

    白山に登った事がある方はわかると思いますが、山頂が近付くとあたり一面、ごつごつした岩があたりに増えて、別な世界に入った感じになります。



    中でも『コンメ岩』という名のついた岩は、女性の子宮・産道、性器を形どった石が印象的で、ここは生命の生まれる場所だとわかりました。

    当然、男性性器の岩があるはずと探すと、すぐに見つかりました。

    こういう場所があるという事は、この山が「神産みの場所」であることを示しています。





    頂上が近くなって見えた鳥居の文字を見て、さらに驚きました!

    「貴船神社」だからです。

    神社で「船」と名前に着く場所は、UFOの船の事を示していますので、この場所は宇宙に繋がる祈りをしていた場所であることを示しています。

    そして、素晴らしい自然界に溶け込んだ拝殿を見つけました!

    山の上から降りてくる神気を樹で受け取り、その下で火を焚き、背中側の拝殿から山の裾野の住民へ、神気を繋ぐ祈りを今でもしている事がわかりました。

    古神道の精神を現代風に上手に取り入れて、宇宙神の信仰を守っている人たちがここにはいると言う証です。




    さらに石段を登ると、そこには、磐座(いわくら)がありました。

    自然界が造った「神の御宿」です。





    宇宙から繋がる神気をモロに身体で感じられる素晴らしい場所だからこそ、この場所に来る人は神に問われる事も覚えておいて下さい。

    大切にこの場所を守り続けてくれている素晴らしい地元の人に、心から感謝致します。

    祈ると、こんなメッセージが降りてきました。

    「違う星から来た4人が、何かをしにくる事は知っていましたが、あなたたちの事だったんですね。』

    どうやら、私たち4人はそれぞれ違う星から来た魂のようです(^^;


    さらに少し登ると頂上ですが、少し平らになった場所で「天地繋ぎの祈り」を行いました。







    宇宙の守護を感じ、京都の貴船神社と繋いた女性は、その役目を持っている魂です。

    そのあとに、私が天とこの地と琵琶湖を繋ぎ、琵琶湖の一番深いところまで宇宙の守護力が届く為の祈りを行いました。

    全員、雨具も無しでびっしょり濡れましたが、この場の気持ちよさに魂は喜んでいました。

    帰り道は、違う道を進みました。





    この素晴らしい場所に、「雲冠寺」というお寺があったことを示す様に、石垣が積まれています。

    たくさんの人たちが、厳しい寒さの中を修行されたのだと思い、感謝が溢れます。



    ふと、樹からアブクが出ているのを見つけました。

    この山に、そして、この樹に龍が降りているのを教えたくて見せてくれているそうです。

    龍たちよ、いつもありがとうね!





    道が開けると、湖のような場所があり、そこにも龍がいましたが、「高圧電線があるので飛べない」と言われ、別の飛行航路を作ってあげました。



    ここから下山した場所まで約1時間くらいでしたが、降りた場所が登山口から5Kmほど離れた反対側だったので、びしょぬれの身体でラーメン1杯食べて次の場所へ移動しました。


    近江八幡にある「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)」は、琵琶湖を対岸で守っている神社のひとつで、4月上旬に、仲間が紀伊国の一ノ宮を回った際に強く横槍・アピールされ、何かかを訴えられたそうです。

    八幡・ヤハウェ・妙見・白山 とくることから、今回の候補としてあげてられました。

    「日牟禮八幡宮」は、近江国の国府八幡として指定されている神社で、近江国 一ノ宮の建部大社と同二宮の日吉大社、同三宮の多賀大社と野洲の御上神社の間に鎮座しているような感じです。

    江州(現在の滋賀県地方)土着の氏族の同族の人びとがその祖神を祀る斎場に、縁故深い八幡大神を合祀したものと考えられています。

    豊臣秀次が築いた八幡城の城跡がある 八幡山(標高283,8m)のふもとにあります。

    ひとつひとつの祠に、ご挨拶をしてまわりました。


    最後は、東近江市にある百済寺(ひゃくさいじ)です。


    地元の方が事前調査で調べてくれていたので御紹介します。

    百済寺は、『百済』の字が示すごとく、推古天皇14年(606)に聖徳太子の発願により、百済からの渡来人のために創建されたと伝えられています。

    「湖東三山」の1つですが、湖東一帯(琵琶湖の東側)は、弥生時代から開かれていたといわれ、
    とくに百済系の多くの渡来人の集落が連綿と点在していたようです。

    彼らは、朝鮮半島先端から日本海流に乗り若狭に漂着し、冬場の豪雪を避けて近江へと南下し、当時の先端技術や先進文化を近江にもたらし定着させていきました。

    ちなみに百済とは・・、紀元前18年に高句麗から分離独立し、現在のソウル近辺に成立していました。

    産業・経済・技術・文化面では第一級の国家でしたが、政治・軍事的には弱い面がありました。首都も建国以来、数回にわたって遷都・南下した国でした。

    万一の亡国に備えて、国民を安全な場所に避難させる必要があると考え、その受入れ国として日本(飛鳥斑鳩)があげられました。

    その調査に、百済の博士「慧慈」(百済へ亡命した高句麗僧)が派遣され、到着した慧慈が目にしたものは、聖徳太子の元服式(成人の儀式)でした。

    慧慈が太子を信頼し、かつ百済国王の指令の下、慧慈と太子の間に緊密な師弟関係が生まれ、推古14年(606年)10月21日に創建されたと伝えられています。

    近江の最古級寺院であり、そこは北緯35.1度線上に存在します。

    次にその北緯35.1度線について紹介します。不思議です。

    この線上には、西に向かって、太郎坊(八日市)…比叡山…次郎坊(鞍馬山)…百済(光州)があり、東に向かっては荒子観音寺…熱田神宮がほぼ同一線上に並びます。

    この偶然とも思える配置は、実は必然的・意識的な配置であることが最近明らかになってきたようです。

    百済人が若狭ルートで湖東地域に渡来・定着してゆく過程で、母国百済の光州と同一線上の近江に太郎坊を、山城に次郎坊を、鈴鹿山麓に百済寺を意識して設定した可能性が高いみたいです。

    百済寺の縁起書によると、慧慈と太子が湖東に来たとき、太子が光明を放つ杉の巨木の上二半分の幹を見られ、この杉の上半分の幹は百済に運ばれて「龍雲寺」の本尊十一面観世音菩薩像に(なったことが判り)、根の付いたままの下半分の幹に十一面観世音菩薩像を彫り、百済寺に龍雲寺と百済寺の御本尊は、同木から彫られた観音さまであり、ここに日韓交流の原点があります。

    でも、杉の巨木の上半分の幹がどうして百済まで運ばれたのか?ですが、日本海流に逆らって運ぶのは困難ではないか?と考えられていますが、海の波は、寄せては返すを繰り返すので、西へ向かう波が来たときは、船を沈め、返す波のときに、少しずつ東へ進む、といった進み方ができたと、ご住職さんがおっっしゃってました。

    また百済では製鉄技術の発達で木炭を大量消費したため、仏像彫刻用の大木がなくなり、森林国の日本に原木を求めたという背景もあります。







    私が最初に祈りを始めると、すぐに過去の辛い思いが言葉となって、隣の女性に言い付けるような感じの言葉が降りました。

    お前たちに何がわかる!

    私たち御仏は、これまでこの地で起きた戦いの御霊を受け止め続けてきたのに、その心が本当に理解できるのか!

    この思いをどうしてくれる!

    お前たちが、どう行動で示すかを我々は見ているぞ!

    女性三人は、このあと重要なお役目を御仏様に仰せつかりました。



    本当はこのお寺は、行きたく無かったのですが、どうしても参加者の一人のカルマが大きいので、お詫びに行かなければいけないお寺だから足を向けたのですが、やはり、叱られました。

    叱られるとわかっていても、頭を下げに行かなければいけない事は、神事ではよくあります。

    人間が、どれほど神や御仏の心を踏みにじってきたのかを気づかない人が多いからこそ、こういう場面もあると言う事を皆さんには知っておいて欲しいのです。

    私がいつも皆さんにお願いしている事ですが、祈りは、まず「お詫び」から始めて下さい。

    神や仏の心に気づいていない愚かな自分に気づいたら、まず「お詫び」なのです。

    神仏の気持ちを本当に知ったら到底、「お願い」など出来無い事に気づくと思いますよ。

    さあ、明日は、滋賀県最後の祈りですので気を引き締めて向かいたいと思います。