宮古島・伊良部島の神さまとの出会い
2004.01.14 Wednesday 11:38

このブログを立ち上げたキッカケのお話をしておきましょう。話は、2004年1月にまでさかのぼります。


<神の国 宮古島>(2004年1月)

<行動スケジュール>
1月14日 札幌出発 大吹雪で全便欠航 夜行列車でで青森へ移動
1月15日 青森空港から羽田、那覇経由で宮古着 (宮古泊)
1月16日 宮古島巡り・来間島・池間島
1月17日 大神島
1月18日 石庭・伊良部島・下地島
1月19日 雨の為、休息
1月20日 下地町 ツヌジウタキ挨拶
1月21日 那覇経由札幌着


1, 旅の目的

2004年1月に、旅に出ました。目的地は、今までに一度も訪れたことのない場所で、ずっと以前から心の中にしまってあった大切な場所のひとつでもある沖縄本島の南に位置する宮古島です。15年ほど前に、船井総合研究所所長の船井幸雄さんが本の中でご紹介されたのが、癒しの地 宮古島の初めての一般公開だと思います。

私自身も7・8年前にそのことを本で知たときから、宮古島には、ずっと興味がありました。しかし、そのときはまだ私が行く時期ではないとずっと感じていたのです。”癒す”ということの意味を、本当に理解している人間が行くには、いくべき時期があると・・・。

2001年の2月、これからの時代の大切な3年間のスタートに向けて、心のスイッチを入れるために一人、石垣島を訪れたときには、色々な体験をさせていただきました。もともと、神がかりなことには、興味はありましたが、2001年は、唯一、石垣島だけ、波動がフラットなのを感じていたので、今の自分が行っていい島と感じたからです。

自分の心のスイッチを入れることを目的に出た旅は、新しい自分に大切なことを気づかせてもらえると確信していました。そして、21世紀の3年間の準備期間も終わり、いよいよ本番が始まろうとしている今、やはり私は、旅に出ました。

今年こそは、宮古島に行っていいと許可が、天から降りた気がしたからです。一人旅には、何の準備もいりません。ただ、地図を見て、宮古島の周囲を確認をしているとき、いくつかある島の中で「大神島」だけが、私を呼んでいる気がしました。ここだけは、行かなくてはいけない!そう、強く感じました。

出発の1月14日は、朝から千歳空港周辺が猛吹雪。予定時刻を過ぎて流れるアナウンスは、「全便欠航」。空港内で待ちくたびれていた数千人の人から落胆のどよめきが起こりました。ハっと、私は待ちくたびれている自分の姿をみて、「それでも、お前は行くのか?」と天から聞かれている気がしたので、今回の旅の重要性と自分の決意を再確認しました。

今日中に本州方面へ向かう夜行列車に乗るために、JRで一度札幌駅まで戻るのにまた3時間経過。やっと札幌駅22時発の青森行きに飛び乗ってから、ふと、この列車は、昨年11月に亡くなった音楽家 阿部次昭さんと一緒に青森まで寝台で移動した列車だと気づきました。そうかあ、彼もこの旅のお供をしてくれているのか・・・。

青森空港までタクシーを飛ばして始発便に飛び乗り、東京経由で沖縄、さらに乗り換えて宮古島到着!本当なら、札幌から沖縄までの直行便のはずだったので、こんなに体力・気力を使うことは無かったのに、これも、この旅の目的が、天から本気か?とたずねられているような気がしていました。




2、水は命

2004/1/15 宮古島到着。
南国の暖かな空気と、素朴な景色は、何度見ても心が落ち着きます。私の一人旅の基本は、新しい土地に入ったときには、必ずその土地を守護している土地の守り神さまにご挨拶をするようにしています。

この土地の詳しいことを知るために、まず宮古島の中心地、平良(ひらら)市役所の観光課で、昔から大切にされている場所や山や建物を訪ねてみました。

窓口の若者に話を聞いているとき、ふと、50代の男性が近寄ってきて、何を探しているんだい?と話に加わってきました。突然のことにも関わらず、窓口の男性は、その中年男性に対してとても従順に対応しているのをみて、この人はどこかの偉い人なのかなあと思いながら、その男性のとても詳しい地元の説明のおかげで、重要ポイントが理解できました。(あとから聞いたのですが、この中年男性は、宮古島にある大きな博物館の館長でした)

この平良は、昔、宮古の中心地として、とても栄えていて多くの重要なものが残っているし、それを知るためには歴史探訪の地図があるのでその順番どおりにまわって見るといいとのこと。特に、大切なウタキは、2箇所あるそうです。

※このウタキとは、現代の神社より生活に根付いていて地元の人が大切に神を祭っている場所のことをいいます。勝手に入れる場所はあまりありませんが、沖縄以南の島にはどこでも必ず存在しています。

張水御嶽(はりみずうたき)


歴史探訪の地図を見ながら、順番に気になる場所を数ヶ所まわっているときでした。突然、地面に20メートルほどの大きな穴がポッカリ開いている場所を見つけたときには、息が止まりそうになりました。案内板を読んでみるとそこは昔、湧き水の井戸として生活の大切な場所でした。さらに特別な人しか飲めなかったために、厳しい警護の人間が付いていたと記されています。



国指定文化財 大和井(井戸)

この沖縄諸島の小さな島々では、飲み水が湧く島と飲み水が無い島があります。高い山も川も無いこの宮古島も決して水は、豊かでは無い島でした。 水を汲むための数メートル下の石段を降りていこうとするとふと、足を止めろ!と心の中で言われました。声の主は、昔からこの場所を守る守護神です。

心の中で、この旅の目的と自分の説明をしました。しかし、なかなか許可をいただけません。その守護神は、何度も、「お前はここを壊す者ではないのか?」と問い正します。その度に、そうではないことを説明しますがなかなか納得していただけません。あきらめて、すぐそばにあるもうひとつの小さな水を汲む場所に行きました。でも、やはり中には入れません。

ここに立ち入るものは、地元の者で許可を得ているものだけだと理解したからです。その場を離れる前に、もう一度、お礼のご挨拶をしたときに「水は、命である」と声が聞こえました。その意味は、ここの水を手にいれるために失った命もあったし、この水のおかげで救われた命もあったからです。悲しい出来事や事件がたくさんあったのです。そしてここ宮古は、実は「都(みやこ)」であったとわかりました。

「水は、すべての命」なのです。私は、改めて、そのことを深く感じました。そして、心のなかで「ヤンバルクイナ、ヤンバルクイナ」と名前が聞こえます。はて?何の意味なのでしょう???


3、池間島・来間島

宮古島の最北端の先に、とても美しい海に囲まれた池間島があります。島を車で一周しても、30分くらいでしょうか。この島の海の色の美しさは、よくポスターになります。今は、宮古島からの橋が繋がっているために、ゆっくり海を見ながら車で池間島に入ることができます。

憧れのビーチ!・・・でも、ショック!!!・・・・・。あまり大声では言えませんが、ビーチのゴミの多さに愕然としました。心の中で、叫びたい気持ちです。観光で儲けるならその全ての関係者に「海の清掃税」を掛けるべきだ!海が・・・かわいそう・・・。

でも有名なこの島に一番最初に来たのには、自分さえ知らない理由があったのです。それは、最終日にお話にしましょう。次に向かったのは、宮古島の最南端にある来間島(くりまじま)です。この島も本島と橋で繋がっているので、一気に車で回れる島なのです。360℃が海!全てが真っ青な深い青に囲まれている島。しばらく見とれた後にその真東にある小さな浜を見つけました。

さっきがあまりにひどいビーチだったので、あまり期待せずに浜辺におりてみると、そこはまるで天国みたいに真っ白な砂に囲まれていて、誰もいないビーチでした。でもこの自然が本当に自然なものかなあと疑っていると犬を2匹散歩させている男性が近寄ってきて、このビーチはあまり人に知られていないことと、満潮時には海の中に隠れてしまうことと、ここの夕日は最高にきれいだということを教わりました。

初めての本物のビーチ、しばらくボーとしていると夕日が沈み始めました。ゆらゆら、ゆらゆら、水平線に近づくほど、色が赤く、濃くなってきています。ふと、周りをみると、地元の家族連れも、夕日を見に来ていました。ゆっくり、でも、沈む速さはとても早く感じます。雲が、赤く焼けています。海の青さと、雲の白さと、夕日の赤が、あまりにも輝いてみえます。しだいに、空、一面が赤くなりました。360℃の夕焼けです。


4、大神島


そこは地元の人でもほとんど立ち入らない島。島に渡って、帰って来なかった人もいるとうわさがある島。自動販売機やお店も一軒もない、わずかな老人が住んでいるだけの島。宮古島の東北(鬼門)に位置するこの島には、船で20分ほどで着きます。

島の周囲を歩いても1時間も、かからないほどの小さな島です。前日から、この島に行くと決めたときから、心がそわそわしていました。大きな決断がいることも、この島がどういう島なのかも何となく感じています。古しえの時代から、この宮古島をはじめ、周りの島々を守る神様の島だということは十分理解していました。でも、私は行かなくてはいけないと感じていました。

船の時間が近づくと、にわかに海が荒れてきました。白い波が見える中へ、10人も乗れるだろうかという小さな船で出発です。大神島の港には、何もありません。まず、左の道を進みます。岩場ばかりに囲まれたこの島に、道を作れる所はない為か、島の周りのサンゴ礁を埋め立てて道が作ってあります。

10分も歩くと行き止まり。その先は、海です。引き返してみると、山に続いた小道がありました。急な坂道をゆっくり進んでいくと、小さな集落があります。寄り添うように、台風を避けるように建てられたコンクリートの家々には、TVの音と老人の姿しか見当たりません。

小道の先に、頂上への登る階段がありました。急なその階段を登っていくと、この小さな島の周りを全て見渡せる場所、頂上に出ます。そこには直径3メートル、高さ3メートルほどの、御神体の岩があります。深々とその御神体にご挨拶をすると、とても気持ちが、晴れやかになってきました。

4畳半位の頂上の展望台から周囲を見ると、自分が立ったその場所から360℃の海が見渡せます。この全てを守っているこの大神島の神様には、心からの感謝をいたしました。2時間ばかりの滞在時間で最後の船が出ます。本当に、来れてよかったと感謝です。

宮古島の港に着いてバス時間を見ると、まだ1時間以上来ません。ふと、一人のオバアが近づいてきました。色々旅の話をしていると、自分の家に来いと誘ってくれました。76歳のオバア、一人住まいで優しいオバアとのひととき、今も忘れません。

昔がどれだけ厳しい時代だったか、昨年の台風で周りの塀が崩れて、アンテナが吹き飛んだのも、生まれて始めての事だと大笑いしてくれました。子供たちや、孫たちがたくさん居て、みんなが元気で暮らしていることを楽しそうに話してくれました。亡くなったご主人の位牌にお参りさせてもらうと、偉い子だねえとほめてくれました。やさしい「おばあ」、この出会いはきっと神様の優しさだと心の中で思っていました。


5、新城さん宅の石庭(いしにわ)  ※パワースポット 石庭(いしにわ)

船井幸雄さんが紹介されて、世界中からこの場所を訪れている人の数は、きっとすごい人数でしょう。新城定吉さん、この方がこの庭の持ち主で す。見た目は70代の農夫です。観光地でもなんでもない、普通の個人の庭にあるこの石庭は、訪れた人を感動させるに余りある迫力があります。まず、新城さんにご挨拶と思っていると、ご本人が畑から現れてき ました。どこから来たのか?仕事は何をしているのか?彼の質問は、この2つだけでした。それに答えると、新城さんは・・・。

「あなたが求めている何かがあるはずだが、それは、ここで教えてくれるだろう。庭の中に、サークルがあるので、そこは裸足になって入りなさい。たぶん、それは与えられることだろう。」

そういうと、新城さんはその場を立ち去りました。石庭の中に入ってみると庭というより、ジャングルのなかの庭園というくらいうっそうといろんな木が自然のまま、立ちはだかっている。その中に足を踏み入れると、昨年の台風で倒れた樹齢千年を超える木が、倒れてい ました。ご本人に了解をいただいたので、奥へ、奥へと足を運ぶと、突然、開けた場所に、背丈ほどもある大きな石がいくつもいくつもゴロゴロと積みあがってい ました。

その入り口はサークル状になっているので、まず裸足になります。正面にある積まれた大きな石は、生き物のようであり、そこは祭壇かと思える位おごそかな雰囲気をかもし出しています。しばらくの間、そこで瞑想をしていると、ものすごいエネルギーが体中を突き抜け ました。

まず今までの自分の人生の出来事に全てお礼を言い、これから始まる新しい時代のあらゆるテーマについてお話させていただいき、ここは、直接、天と繋がっている場所なのだ と実感しました。ムー大陸や、アトランティス大陸についても教えていただきました。

しばらくすると、ここで新城さんをサポートしている女性が現れました。私のことを新城さんから聞いていたのか、まず彼女の最初の質問は、この場所はどう感じられますか?という問いでした。それに答えて彼女と色々な話をしていると、あることを教えてくれました。

実は ここのある石を、昨年11月頃に新城さんが手を入れて少し動かしたそうです。その時期は、船井幸雄さんがいらしていた時期であることも、付け加えて。 その理由を彼女は僕に尋ねるので、僕は彼女にこう話しました。「これからこの場所の意味が、変わるでしょうね」と。

石庭には、大きな3つの穴が開いています。ひとつは、「陰の穴」、そして「陽の穴」。一番最後に見つかった穴だけは、名前がないというので、僕は、その先が宇宙に繋がっていることを伝えました。18メートルも一人で掘られたその穴からは、とても素敵な石がたくさん出てきてい ます。

その女性は、新城さんのことを、先生とよび、その先生は、天から書かされたという自費出版の本を出していることを教えてくれました。実は、昨日偶然入った喫茶店のご主人から私は、面白い話を聞いてい たのです。この宮古島には、大神島と、ここ石庭と、来間島の3点を結ぶ三角形には、何かあると言われていますよと喫茶店のご主人が教えてくれていたのです。

自分の地図で、この3点を線で結んで見ていると、どうしても、もうひとつ点が右にあるはずだと感じていたのだが、それはみごとに正解!新城さんの家の隣には、庭の穴の中から出てきた数多くの石や、資料や本などを見せていただける部屋が用意されてい ました。その部屋の入ると、壁に掛かっている大きな地図に、僕が思ったとおりののひとつの点を加えて、みごとな正二等辺三角形になっていたのです。
石庭の位置

そして、その中心はここ、石庭なのです。この石庭については、まだまだ色々なことあるが、興味のある方はまず自分で足を運んでみて欲しい と思います。私は、必要以上に今、この島の存在理由を説く時期ではないと感じているからです。ただひとつ、わかっていることだけは、伝えておきましょう。今まで石と呼んでいるが、実はこれは、海の中のサンゴの岩なのです。

宮古島自体が、実は、海の中にあった島だとだけ、理解しておいて下さい。さらに下地島は、海の中の景色そのものの岩が、地上に隆起して現れている島なのです。年代は、まったく別であるし、隆起した意味も、全く別の意味があります。そしてこれは、実は、ムーの仕業なのだ。 真実を知る準備が出来た時期がきたら、少しづつ謎を解き明かしていきましょう。もう一度生きたい場所、それが石庭です。


6、伊良部島・下地島

宮古島の北西に位置する伊良部島は、じつは、隣に下地島とほぼくっついた状態で浮かんでいます。この島に行こうと思った理由は、名所「通り池」と呼ばれる2つの池が繋がっている珍しいところだから です。島の西端にあるこの通り池は、大きな湖が二つ中で繋がっていて、さらに海にも繋がっています。

海から、マンタやサメも出出入りするこの大きい池の側面を見ると、この池は実は、鍾乳洞だったことがわか ります。世界でも珍しいとされるこの鍾乳洞がポッカリ口を開けて、繋がっているのは、不思議な感じがします。

池の周りの柵を見ると、「一羽の鳥」が止まっていた。僕を見ても飛び立つ様子もなく、じっとこちらをみているように思えたので、軽くご挨拶をしてから岬へ向かった。 岬の先端部分にももうひとつ、小さめの通り池がありました。ここの水は、海そのもので、青く、深い色と、水のはねる音が静かに反射しています。吸い込まれそうなその青さと静寂に、しばらく時間を忘れ ていました。

海に突き出た部分は、全てがリアス式海岸というべき、デコボコしながら、いくつもの洞窟がありそうな海岸線です。道を引き返すときに、最初の通り池を通ると、まださっきの「少し大きな鳥」が居 ました。どうみても、普通の鳥には見えないので、深々と、感動させていただいたことのお礼を言って、横を通り過ぎました。きっと、ここの守り神なんだろうと根拠のない感覚を信じてその場を去っ りました。

下地島から伊良部島向かう途中に、入り江に大きな岩のかたまりがゴロゴロ浮かんでいる場所があります。そこは、どうみても海の中の風景なのだ。突然、海の中の岩場が、陸地に上がったとしかいいようのない風景に、この下地島の意味を少し感じ始めていました。ぜひ、この場所に落ちる夕陽を見に、もう一度ここに来たいものだと想いました。


7、天然記念鳥 ヤンバルクイナ
天然記念物 ヤンバルクイナ

初日に、博物館の館長さんに逢ったのも何かのご縁と、車を借りて博物館へ行ってみました。ここ宮古島の歴史を少し調べたいと思ったのも、あるからです。書かれていた年表は、西暦1300年からのものしかありませんでした。

ここは、アメリカの領土の時代もあったし、その前は、琉球王朝との関わりも深くあ りました。さらには、その以前に、南氷洋からの島々から来て遭難した人たちを助けたという記録も残っています。ただ歴史的に正確なものは、非常に少ない と思います。

わらぶき屋根の家屋や、農機具は、北海道のものと変わりません。展示物で気を引かれるものは、ほどんどないなかで、ウタキの所在を示す地図を見て、数の多さに驚 きました。そして、上映している「神祭りの儀式」は、それぞれの村々で引き継がれているものとして、今でも残っている。唯一、消えていないのはこの部分だけかもしれないと思います。

最後に、宮古島の野鳥の写真と剥製がありました。そこで見た鳥の中に、ナントカクイナという鳥が居ました。後でわかたことですが、飛べない鳥、人前に出てこない鳥として有名な「ヤンバルクイナ」だとわかった のです。そう、下地島で私を迎えてくれた鳥、それがヤンバルクイナなのです。


8、神々との出会い
あるアクセサリー屋さんに立ち寄った。「幸せになる石」を販売しているからです。30代のオーナーの男性と色々な話をしながら、ここ宮古島のすばらしさを互いに確認しあった。最後に、彼は、おいしいカレー屋さんを紹介してくれ ました。

翌日、海岸線で貝殻を拾うためと、カレー屋さんを目的に車を飛ばしました。海岸線で貝殻を探していると、心のなかで「ヤンバルカムイ」と聞こえてき ました。何のことだろう?しばらく考えていると、アッ!と思いました。あの下地島でみた鳥 ヤンバルクイナは、実は、島の守り神ヤンバルカムイなのだと!しばらくの間、出会えた事の感動と、全ての神々の存在をさらに深く感じた瞬間でした。

やっと見つけたカレー屋さんは、とても素敵な女性が一人で経営するお店でした。彼女のお父さんが手造りで作ってくれたお店で、愛いっぱいのおいしい食事。彼女は、石屋のヨッシーの知り合いなら、私の友達!とばかりに、たくさんいろんな事を話してくれ ました。

旅の最後に、本当に幸せな時間をもててよかったと思います。そのお店に置いてあった1冊の本に、目が止まりました。昔からのこの地方の「いい伝え物語」を本にしたものでした。この本には、あらゆる言い伝えが記録されていました。龍神伝説、美しさゆえ海に身を投げた女性の話、ウタキの由来。

そこには、神々へのご拝所としての「御獄(ウタキ)」の最高に重要な場所は、最北端にある池間島にあるウタキであると書かれている。ただし、ここには一般の人は一切立ち入ることが出来ず、旅行者も一切立ち入り禁止と記されてい ます。唯一、出入りできるのは、神主(カミューシャ)か、巫女のみとなっていました。

いくら私が霊媒師でも、土地を守る神々の役目である地元の人に失礼する訳にもいかず、どうしようかと迷っていると、代わりに一般の人の拝み所として、宮古島の南部(下地地方)にあるウタキに行くことで、今回の旅の全てのお礼をし ました。思えば、宮古島に入ってから、まず大切な御獄(ウタキ)で神々へのご挨拶をしたおかげか、どこへ行っても、全ての神々に守られていることを毎日感じてい ました。

御獄(ウタキ)を守る神・命を守る井戸の神・全ての神々を司る大神島、出会わせてくれたおばーも神の使いとも感じるやさしさがあったのです。そして、新城さん家の「石庭」におられる神々・下地島の鳥 ヤンバルクイナ・極めつけは、海から天に登る渦をまいた龍神様の雲 でしょうか・・・・。
宮古島の夕陽


9、神主(カミューシャ)・神人(カミンチュウ)

私がこの八重山諸島に、目的を持って訪れてから、いつも気になることがあります。
2年前、沖縄本島の三線(さんしん)演奏家の50代の方から、「ユタ」と呼ばれる人たちの話を聞いていました。昔から先祖を大切にするこちらの方々は、自宅の敷地内にご先祖の墓を建てることが、 普通である。年に数回、親戚一族が集まって墓の掃除をして、墓の前で健康を祝い、ご先祖に感謝する祭りは全国的にも有名です。

この「ユタ」と呼ばれる人たちは、親族の誰かが亡くなった時に、49日を終えて、一族で「ユタ」の所へいき、亡くなった方が言い残すことが無いかを伺いに行く そうです。 また、大切な日取りを決めてたり、建物や会社の建て方、段取りについても、伺い賜う重要な人たちである。ユタの社会にも、ランク付けがあって、霊力の強さによってお布施が違うように、除霊・交霊を含めて、頼む人も相手を選ぶようでです。

今でもユタになりたがる人はいますが、ユタの職業を全うするには、強い精神力が必要とされて、中には気がおかしくなって廃業する人も多いと話していました。 生まれたときから与えられている霊力を、どう使うかは、その人間として生きる力とのバランスを、要求されるのもこの職業の難しさでしょう。しかし、沖縄は敗戦後、あらゆる文化が一気に流れ込んできてい ます。本土復帰を境に、仏教や神道、また、その他の宗教も数多く流れ込んできています。

この男性の話からすると、自分の子供の頃には、ほとんどユタとの付き合いで、全てのことがうまくまとまっていたし、先祖からの言い伝えも守られていた ということです。だから、一番大切にしているのは、おばーやおじーの知恵だと彼は言っていました。

しかし、文明の流れとともに、今の40代以降の人は、ほとんど八重山諸島の歴史や文化の意味を知らない人も居る位に、琉球文化を理解していないと言 います。三線(サンシン)にも、現代三線と古典三線があることもわかりました。だから今でも、琉球大学には、古典三線の学科があるといいます。

宮古島では、ユタのことを神人(カミンチュウ)と呼ぶそうです。50代の男性に聞くと、居ることは知っているが、自分はあまり使わないといいます。また、20代の女性に聞くと、 そんなの知らないと答えられました。私は自分がこの神人(カミンチュー)と同じ仕事をしているせいなのか、守られるべき知恵や風習が消えていくことに、深く悲しみを覚え ます。

宮古島空港へのタクシーの中、自分と同じ位の年齢と思われるドライバーさんが、話かけてきました。24日には、ここ宮古島に天皇が来ることと、300年前に、天皇家とこの宮古島が深いつながりを持ったことで、今の皇居に使われている石垣は、この宮古島から運んだのだと言うことも教えてくれ ました。そして空港に近づくころ、ふとユタの話になりました。

彼は今でも家族のことや、大切なことを決める時には、必ずユタの所に行くし、自分の周りの人もそうだよと、教えてくれました。私は、とてもうれしかったです。初めて普通にユタのことを受け入れて生活している人と出会えたことに、感激してい ました。

沖縄のユタ、宮古島の神人(カミンチュウ)、青森にある恐山のイタコ、インディアンの儀式を取り扱うシャーマン・・・・。世界中に大切なことを守り継ぐ人たちが、今でも存在してい ます。

地球を含めた自然界の全てのものが、宇宙からの贈り物であり、人間というものはその中で生かされていて大切な役目があることを知っている人たちです。私は、この旅の最後にこれの言葉で、自分の存在を許されたかのように感じ ました。また現実の中で、人間の存在意義を伝えていこうと強く決意したのです。

最後に、「御獄」と書いて、「ウタキ」と呼ぶ場所の付き合い方を知っておいて欲しいと思います。

地元の人に聞くと、人によって付き合い方は違うが、特別なところなので、滅多にいかないという人と、自分の家の前にあるので、いつもご挨拶しているよ、という人がい ました。私が最初のウタキにご挨拶に行ったとき、ウタキの門の前で一人の男性がこちらを見ないようにして、順番を待っているのがわかりました。そして、私のご挨拶が終わり帰るとき、お互いに微笑みあい、軽く会釈をして交代し ました。

ウタキは、今の日本の神道の神社とは全く違うのです。
大切なときに、大切なことをお願いしたり、お礼にいったり、悲しいことや、苦しいことがあるときに、自分を守ってくれる最高の敬意を払うべき存在なのだ と思います。それは、この地を守る守り神さま、言い換えれば、この地を生きぬいてきた、自分のご先祖様全てに対しての敬意なのです。

もし、あなたがウタキに行くことがあれば、そのことだけは、理解しておいて欲しいと思います。
私の魂の旅は、また、これから始まるでしょう。


10、白龍(天龍)の意味

宮古島には、昔からおばーたちの言い伝えに、あの通り池の所には、ときおり、「龍神さま」が見えることがあるという伝説を聞いていました。最近になって、白龍は天龍であることがある本を読んでいてわかりました。

私があの龍の形をした雲を宮古島で見たときに感じたことは、まず、この龍は白龍であるということ。そして、これは、何の役目の龍かということではなく、全ての龍の親分だと感じていたのです。でもこのことが、今日読んだ本ではっきり書かれていました。

この本を書かれたのは、あの宮古島の石庭の持ち主、新城定吉さんです。新城さんは、宮古島の歴史にも詳しく、自らいただいている宇宙からのメッセージもあり、さらに科学・物理・倫理・真理と詳しくあらゆることを調べていて、現実の出来事からも、科学的にもメッセージを分析判断なさっています。

私自身は、数年前のある瞑想の最中に、突然、青龍が身体の中に入ってきました。それからは、青龍の意味や役割を調べたり、他の龍の意味を調べたりと、自分なりに龍の意味と自分の役割を模索していました。しかし、私はいつも必要以上に何かを求めることは、しないようにしています。

その理由は、自分に必要なことは、必要なときに与えられるということを知っているからです。自分の欲で求め過ぎて手にいれた知識は、左脳に入りますが、すぐには使えません。自分自身は納得して満足しますが、そのことで誰かの役にたつことはできません。何も求めないでいても、必要なことはちゃんとポン!と気づかされたり、わかるように誰かが言葉で教えてくれたりします。

そのとき与えられた知恵は、すぐ人に役にたつものなのです。それは、人間というそれぞれの存在は、実は、みんなの、 誰かの為に存在しているからなのです。人間は、本来そういうものだと、思っています。だから、わからないのにわかったふりをしたり、答えを求めすぎるとかえって混乱して、今の自分の役割が見えなくなってきます。

私が思うに人間には、自分の役割に見合うものは全て与えられていると感じています。だから今、自分ができることを人様の為に一生懸命することが、実は、自分本来の役目を気づく一番の近道なのだということです。得意、不得意は、自分ための言葉なのです。不得意だけど、人に喜ばれるなら一生懸命にやってみようとすることで、実は、自分の新たな発見や才能を見つけたりするものなのです。

以前、青龍が入っていて、今は、さらに白龍が入ってきたと感じています。それは、私自身の役目がさらに変化したことを示しています。心して日々の出来事を精進していきたいと、心から願う今日の日々です。ありがとうございます。

2004年1月に、宮古島の西にある下地島で撮影した白龍の写真  

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