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2006.11.14 Tuesday

伊良部島 豊年祭(ゆーくい)2006

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    2006年11月14日〜15日


    800年の歴史があると言われる伊良部島の豊年祭(ゆーくい)は、龍神ツアーとして今年で2回目の参加ですが、初めて訪れた昨年とは違い、今年は参加者たちもたくさんの神様を感じてくれたようです。

    まず第一に感激した事は、伊良部島の方たちが私達の顔を覚えていて下さって、「よく来たな!」と歓迎を受けたことです。

     

    昨年は、800年の歴史のなかで初めて外部の人間が入った為に新聞でも取り上げられて話題になりましたが、地元の方の反応は、「誰だい?あの人たちは??」というきびしい目で見ていたことは今もハッキリ覚えています。


    島全体が家族と言っていいほど、人と人が深く繋っている島ですので、今、考えても昨年の行動は、ものすごい貴重な経験だったと感じています。

     

    だからこそ、今回の参加者14名には気を引き締めて、「島の方、全員が神さまですよ!」と言い聴かせていますし、この豊年祭の意味もウタキの神さまの意味も、また、島の方がご先祖を大事にしている本当の意味を詳しく説明してから参加していただきました。


    島の方に歓迎を受ければ受けるほど、私は気を引き締めます。理由は、仲良くなって受け入れられるからこそ、私達の責任も重くなるからです。

     

    1年に2日間しか入れないこのウタキの中には、神さまやご先祖様の御霊も、たくさん集ってきています。木の上や、人の後ろでたくさんのご先祖や神さまが顔を見せています。


    今年は初めて島の7部落すべての神さまの御嶽へご挨拶することができましたが、そのおかげでたくさんの経験と気付きもいただきました。

     

    特に長居をさせてもらったのが、ホテルてぃだの郷がある長浜部落と伊良部部落のウタキです。

     

    いろんな方に話しを聞いてみると、7部落の中でも”伊良部部落”だけ、お祭りの方法が他の部落とは違うということです。

     

    私の今回の最高の体験も、この字伊良部の乗瀬御嶽(ヌーシウタキ)の中で起きました。


    伊良部部落のウタキに入ると昨年、飲み明かしたたくさんの男性たちに出会い、私の顔を見ると、「去年も、来たよなー?」と声をかけてくれました。肩を抱き合い、酒を飲み交わし、神さまの前で一緒に祈りも捧げました。

     

    その中でも、特に私にお礼を言ってくれる男性がいました。彼はどう見ても、相当、酔っぱらっているんですが、目が真剣なんです。


    「本当に、よくきてくれた。ありがとう。ありがとう。」と、私に土下座するくらいに、喜びを身体で表してくれます。

     

    その態度と気持ちは、一人の人間としてではなく、神さまがお礼を言ってくれているのを感じたので、私も一緒に感動しながら互いのお礼の言葉を繰り返しました。

    私と肩を抱き合いながら飲んでいる時、突然、「吉岡さんを神さまにつないであげる」と言って正面の神様の方へ正座して、手を合わせて祈りを始めてくれました。

     

    何をするのかなあと思っていると、「ドン!」という感覚で、私の体の中にものすごく強い神さまのエネルギーが入ってきました。

    私は島のユタと同じように霊的な感覚が強い性質なので、このエネルギーのすばらしさと、この男性の心からのやさしさに涙があふれてしまいました。

     

    この男性の祈りを通して、神さまが私にお礼を言ってくれたのです。

     

    今まで伊良部島のたくさんの御霊上げとゴミ拾いと祈りを捧げてきたこの3年間のことを思い出しながら、神さまにお礼するように、この男性と手を握り締めあいながら、お互いに感動で泣いていました。

     

    神さま、本当に、ありがとうございます


    この伊良部部落だけは、ウタキを守る”司(つかさ)おばー”の上に、”皿主(さらのこしゅ)”と呼ばれる男性の司(つかさ)がいて、すべてのお祭りを仕切っていることが特徴です。

     

    乗瀬御嶽(ヌーシウタキ)の祈りを終えて、後片付けが始まったので次の場所へ移動しようとすると、「これから本当に大事な祈りがあるから、ぜひ、見ていきなさい」と、部落の方に教えていただいたので、全員でその瞬間を待ちました。


    ウタキの奥にある建物の横に仕切られた特別な場所は、島の方でも特別な人しか入れない場所で最高の上座なのは、見てすぐにわかります。

     

    そこに30名ほどの男女が円陣に座り、皿主(さらのしゅ)の歌が始まります。

     

    皿主の歌に続いて、30名全員が祈りを歌を唱えます。

    この歌を歌い始めると、一気に、”場”が変わります。

     

    身体が震えるほど神聖な強いそのエネルギーは、今まで感じたことがないくらいに神聖で、でも強い意思を感じるエネルギーでした。

     

    この歌を魂で聞いていると、このウタキの神さまへのお礼の歌なのがわかりました。

     

    今年こうして神々さまやご先祖様にご挨拶できたことへのお礼をして、このウタキのお祭りを終えたというご報告の歌なのです。


    一緒にその場にいた地元の女性が、「たくさんの白い洋服を着た人たちが、私達の周りを忙しく動いているよ。あれは何?」と聞いてきました。

     

    「それはすべて神さまの使いをしているご先祖様たちで、神さまの使いなんですよ。」と教えてあげました。

     

    祈りのあと、円陣で歌っていた30名の方たちが回し飲みしていた手彫りの木の器に、がじゅまるの葉っぱを一枚だけ載せたこの部落特有の”どぶろく”を、私達も飲ませていただきました。

    このどぶろく作り方は、処女の女性だけが作ることを許されていて、その女性の口の中でお酒を発酵させて作るのですが、その作る姿は、一切、見られてはいけないということとです。

     

    神聖でとても美味しいそのお酒は、神さまへの五穀豊穣の御礼と感じました。

     

    この日は、あちこちのウタキへご挨拶させていただきながら、それぞれの部落の特有なルールの違いも学ぶことができました。

    なかでも一番驚いたのは、翌日の朝、子供達と学校の先生が、制服を着たまま全員、ウタキへ登校してくる姿です。

     

    この島では、豊年祭の朝は、子供達全員がウタキへ登校して、午前中いっぱいウタキのなかにいます。



    来年受験をする子供達は、神さまの前に出て自分のことを部落の皆さんと神さまに知ってもらい、神さまと一緒に踊ります。

     

    私達が忘れている大切な部落全体で、子供達を守り育てているとても暖かい姿でした。

     

    この伊良部島には7つの部落があって、それぞれこの島に入ってきたときに、過去からの先祖を守っているので、細かいルールが違います。


    大きく分けると北区と呼ばれる海側の2つの部落(佐良浜地区)だけは、豊年祭の日取りを決める段階から違うということです。

     

    南区と呼ばれる残りの5部落は、伊良部部落の皿主(さらのしゅ)が、5つの部落の豊年祭の日取りを決めて行っています。

     

    北区の方に聞くと、ここ数年は同じ日になりましたが、以前は、南区とは別の日に行っていたそうです。

    北区の2部落の”ゆーくい・豊年祭”を執り行うウタキは、池間島にある大主神社(うはるずうたき)のご分霊の神社です。

     

    そして北区の豊年祭は、女性たちのお祭りなので、男性は参加しません。

     

    男性が行うお祭りは、別に、”みゃーくづつ”という男だけのお祭りがあるそうです。

     

    この日、初めて大主神社(うはるずうたき)にお神酒を奉納させていただいた時に、女性の方から聞いたこの話は、南区の方でも正しく知っている方はいないのかもしれません。連れていてくれた地元の女性が、ルールの違いに驚いていたからです。


    「他に、北区のルールは、あるんですか?」と聞くと色々教えてくれました。

     

    まず、一般の女性たちはこの日、ウタキには一切、来ないそうです。

     

    一般のみなさんは、家のなかで神さまをお迎えする供物・塩・酒を用意して、静かに、神さまが降りてくる時間を待っているそうです。

     

    神さまが降りてくる時間は、多分、どの部落も共通でしょうけれど、海の潮が引いて、満ち始める最初の時が、神さまの降りてくる時間といわれています。

    この瞬間に、子供が生まれたり、女性の生理は始まるのも、宇宙の波長と同調して生きている女性の特徴だといえます。

     

    これは昔から言われていることなのですが、現代の方で知らない方が多いのも残念なことです。

     

    そして、司おばーたちと一緒に、ウタキの中の建物のなかに入れる女性は、数え年47歳から57歳の奇数年齢の方だけです。

     

    昔昔は、一般の方は、鳥居をくぐることさえ、許されなかったそうです。

    今では、鳥居の中の建物の中に入ることは絶対、許されませんが、そこさえ入らなければ、手前の階段までご挨拶するのはいいそうです。

     

    夜通しこの中でお線香をたき続けて祈っている白の衣装を着た女性たちが、30名ほどいましたが、昔はもっと多かったので、入りきらなくて周りに溢れていたそうです。

     

    今は、島の人たちが減ったと、悲しんでいました。


    この佐良浜地区は2つの部落が一緒ですから、それぞれ司おばーが3人づつ、計6人います。

     

    そして、その司おばーをさらにサポートしている”ううんま”と呼ばれる役目の女性達が、その後ろで控えています。

     

    ひとつだけ私達が注意されたのは、こういうお祭りに、赤い服を着てはいけないということを教わりました。

     

    きっと、昔からお祭りに女性を嫌うように、赤は、血の色であり、女性そのものの色であり、人間のカルマ・本能の色なので、俗世の欲の象徴だからだと思います。



    南区の5部落のお祭りの中心となっている伊良部部落の方からも、たくさん教えていただきました。

     

    祭りの中で「ゆんてる!ゆんてる!」とかけ声をかけて、来年の福を神さまからいただきなさいと、昨年、教えていただきましたが、実は、この「ゆんてる」の本来の意味があったのです。

     

    ”ゆんてる”の語源は、ヨンテル。

     

    ヨンは夜=闇、テルは光の意味で、「闇から光へ、闇から光へ」と、地球の波動を上げる祈りの言霊だったのです。

    このことを教えてくれた男性は、現在、宮古島で ”良伊部(らいぶ) 龍宮(りゅうきゅう)”というお店をなさっている方で、伊良部部落出身で、昔から伊良部のルーツや意味を調べていたそうです。

     

    そのヒントは、すべて、伊良部島の歌の中に隠されているということです。三線(さんしん)奏者のこの方は、歌の意味を深く知ることから多くを理解したそうです。

    もうひとつ教えてくれたことは、宮古諸島の最初のご挨拶をする ”ハリミズウタキ”は、古来の名前は、”ぱしゅみずウタキ”で、ぱしゅ=火の柱、みず=水の柱を守っているウタキで、さらに、火の柱は縦を守り、水の柱は横を守っていて、ふたつをあわせた十字架は、イエスキリストの十字架と同じ意味を持っているということです。

    さらには、伊良部島の人たちのルーツが、ユダヤ民族とポルトガル民族の二つに関わるということです。

     

    私がなぜ、今、京都や神道のことに関わるのかと不思議に思っていましたが、これで少し謎がとけました。

     

    宮古諸島の石が、東京の皇居の石に使われていること、伊勢や神道のルーツ(古神道)と平安京の時代の京都との関わり、そして、なぜ、古い都=宮古という名前が付いているのか、さらにいえば、なぜ、この南の島々が、琉球=龍宮と呼ばれているのかもわかってきました。


    そして、私が2004年に白龍に呼ばれてこの島に来た理由も、日本全体の愛と調和の祈りや働きをしなくてはいけないかも、少しづつ見えてきました。どちらにしてもこの伊良部島は、とても大切な島なのは、変わりがありません。

     

    私が島の神さまから頼まれたのは、「豊年祭(ゆーくい)に、3年、通ってくれ!」というものでした。そのあとは、きっと、新しい流れが起きて、この島の素晴しさを知りに、たくさんの方が訪れることになるでしょう。

    あと1年、来年の豊年祭までに、伊良部島の神さまに,さらに喜ばれる働きをこれからもさせていだたきたいと思っています。島のみなさま、本当に暖かい御心で私達、”龍神ツアー”を受け入れてくださってありがとうございます。龍神ツアーに参加してくださった方の素敵なブログもご覧下さい。


    またお会いできます日を楽しみにして、私も、全国の祈りに励みます。ありがとうございます。


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