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穂高・安曇野・上高地神事 2

2015年10月5日 
 

穂高神社奥宮

 

御祭神:・穂高見神(ほたかみのかみ)

 

日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護の神。

 

穂高神社は、安曇野市穂高町にある本宮と、明神岳(上高地)の麓にある明神池のほとりにある奥宮、そして穂高連峰の最高峰・奥穂高岳(3190m)山頂に嶺宮がある。穂高連峰とは奥穂高岳・北穂高岳・涸沢岳・前穂高岳・西穂高岳・明神岳の総称。

 

 

上高地へ行く方法は、「沢渡(さわんど)大橋駐車場」に車を置いてバスかタクシーで上高地へ向かいますが、着いた時は夕暮れだった為、宿で食事後、夜中まで明日の祈りの話しをしていると、深夜3時に、急に、私の体に大きな神が乗ってきて神言葉が降りました。

言葉を下さった神は、「穂高 明神岳」の男神でした。 

 

 

いつまでも待っているわけではないのだぞ!

お前達が来るのを、本当は首を長くして待っておったのだが、しかし、お前達はまだ人間事が足らん者もおるし、首を洗っておらん者もおるし、神の思いを頭の先からつま先まで感じておらん者もおるからこそ、その時間も必要なのであろう。
 

だがな、これは言うておくぞ。

お前達が来てくれた事を、ここにおるあらゆる神達が喜んでおるぞ。

どれだけその思いを感じて欲しくてここにおるか、お前達が感じた通り、ここは聖地である。


本来、人間が普段の生活をする場所ではなく、神々が鎮座する場所であるからこそ、お前達人間がたくさんやって来る事を望む神は誰もおらぬ。

 

 

だがな、お前達の人としての愚かさもようわかる。

だからこそ、これだけはわかっておいておくれ。


お前達が見た、橋が壊れた事や、山が削られている事や、流れが壊れたり、穴を掘って山を壊す事も、お前達が自分の生きている中で、大切な繋がりを壊していく事と同じ事なのだぞ。

 

 

ここにおるもの達は、誰も主張はせん。

ただ、存在しておるだけである。

守るという事の意味すらわからぬ。

そういうもの達が沢山おる。

生きることに、必死な動物達もおる。

生きることすら、わからぬもの達もおる。

しかしながら、お前達人間は、生きることを必死に学び、苦しみ、そして死を迎えるが、お前達が来る場所は、本来はここではない。

ここは、神々が集まる場所である。

 

 

人がそこに入った時から、我々は脅威を感じておるのだ。

未だにその脅威は変わらぬが、ただな、たまに、たまにだぞ・・・

お前達のように思いをわかってくれるものが来る時がある。

その時はとても嬉しいぞ。


だがな、何も変わらぬ。

人の思いを置き換える事は、人の世界の事である。

 

 

お前達に、もし、宇宙の力があるのであれば、この自然界の摂理のエネルギーさえも変える力があることを知っておろう。


宇宙の神が、我々を創造し、創った事を知っておるのであれば、その力を使えば元に戻るとは言わぬが、新しい事はできるぞ。


私は、何もできぬ。ただ、伝える事はできる。


お前達が肉体は朽ちても、またここへ来る。

心静かな穏やかな者たちに、大切な事を伝える事はできるぞ。

 

 

だがな、お前達の力はもっと大きいであろう。

お前達のボスが持っている力を使えば、本来はもっと大きなものを使えるであろう。

ならば、その力を引き出すほどの祈りをしてみてはどうか?

 

 

 

「この星を守ることは大変ぞ!」という言葉をどこかで聞いたことはないか?
 

 

誰もが、思っておる。

「この星(地球)は大切なのだ!」

その事をわかっておらぬ者が多いからこそ、守る者たちは伝える事ができぬ。


ただ、守るだけである。

だから、わかった者、わかってくれる者達がいる時に、色々な者達がその思いを伝えるが、決して苦しめたいわけではない。

ただ、思いを知って欲しいのだ。

 

 

だが、何もできぬ。

 


お前達は自らを信じる力を使って、神を動かす力まで持っているのではないか?

ならば、その力を使えば、神を、あらゆるものを、動かせるのではないか?


 

 

我々は、本来、願いはせぬ。

 

しかしながら、今回は頼む。


この神降地の地は、まだ神の一部であるのだぞ。

 

この力を守る存在達が、沢山いるうちに、この力を沢山の者達、そして大きな存在達へ繋いでおくれ。

そうすれば、また昔のように、星と同じように、命が繋がり、自らの浄化作用によって、あらゆるものを変える力がまた動くであろう。

 

 

それをお前達は、天変地異と言うが、それは違う。

我々の浄化作用なのだ。


新しいものを生み出すためには、浄化作用が必要なのだ。

その働きを動かすには、宇宙の意思が必要なのだ。


この男が持っている力は、その力であろう。

あとは、お前達が信じる力で動かせるのである。

 


お前達が守っているものは、よくわかるからこそ、その守る神々や、自然や、命や、大切なものを、この我々の思いと繋ぎ合わせて、これから始まる事について各決意を持つように伝えておくれ。
 

 

我々は、決して、この龍体日本を崩すことはしないが、ただ、今の現状を維持することは、無理である。


だからこそ、宇宙の愛が必要なのだ。

新しい創造をするには、お前達の心も思いも必要なのだ。

その思いを我々と同じ周波数で、ただ、感じて溢れさせて、歓喜のまま感じておくれ。

そこに我々の意思がある。

そして、その思いを愛でまとめておくれ。


誰もが、知らぬ。

愛は、無限である。


どこにも、無い。


だからこそ、お前達にあるといえる。


それを、信じたい。

 

 

だからこそ、今日、この時間に降りてきている。(AM3:00)
 

 

穂高の神は、何も言わぬ。


やつは宇宙と繋がっているが、自然界には、あまり興味が無いのだ。


ただ勝手に、お前達は循環しておれと言わんばかりに、ただ我々を見下ろしておる。


しかしな、それも役目なのだ。

我々は自然の循環を守らねばならぬ。

しかしながら、宇宙の力も必要なのだ、その高い粗い繊細な険しい周波数。


自らの頭と心を身体で感じておくれ。


 

 

精霊達は、たくさん働くぞ。

お前達の身の回りにいつもついて、感じさせてくれるであろう。

お前達が来る事をとても喜んでくれている。

 

 

だから、何も考えずに、ただ心だけ、合わせてくれ。

思いさえあれば、成すことはできる。


その思いが純粋であればあるほど、そして信じる力が強ければ強いほど、そして、愛する仲間が多ければ多いほど、繋がりが大きいほど、我々も同じように働くのだ。

 

 

お前達の祈りは、それがあるはずだから、その力を使いなさい。
 

あなた達には、私が言うよりも、誰よりも、感じて信じる力があるはずなのだから、その力を使いなさい。


私はだた、待っている。

 

 

今日、この時間にこうやって来れたこと、感謝する。


お前達と共にいること、ありがたく思う。


ありがとう。ありがとう。ありがとう。



この大切な神の思いの言葉を聞けたおかげで、全員が明日の神事に向けて心がひとつになりました。



2015年10月06日

翌朝、精霊達と神々の思いを無にしないように、すべての気配を感じながら明神池までの道を歩いていると、観光ガイドには無い、たくさんの重要な精霊達が集まる場所を見つけることができました。























































穂高神社奥宮参拝後、明神池にて神メッセージを賜りました。














 

 

 

 

上高地神事 穂高神社奥宮 明神池 神メッセージ
 

 

お前たち人間が出来ることがあるならば、まずはそのことを行え。

 

そのことをやらずに、神に願いをするなどもっとも言語同断。

 

 

 

思い馳せ給えて、神の想いくみとり給うもの、その者たちの思いここにおいて行け。

 

我々がその始末をしてあげよう。
 

 

思いはここから始まり、ここから生まれ、ここから繋ぎをかけるものぞ。
 

 

神の思し召しを得るならば、神の思いに近づくならば、思い馳せ給えて自らの心根、この水面の様に透き通った鏡にしなさい。

 

 

思惑は闇を掴み、自らを掴むからこそ人の思いを掴まず・掴まれず、生きる事さえ苦しいと思わず、ただただ生かされているのだということ、気づきなさい。

 

 

お前たちがしようとする事、その望み、多くの者達が思いをたたえて育むならばこそ、この思いを護る地で思いを合わせ汲み取り給えて自ずの水鏡(みかがみ)、この水鏡(みずかがみ)を映し出し思惑天にうつり、地にうつり、人の心にうつり、その表れが現象となる事こそ、これ宇宙の節理なり。
 

 

思惑を掴むのではないぞ、思惑はあるものである。
 

 

無いものとするならば、それは迷いの道にはまるぞ。
 

 

思惑はあるものぞ。ただ、問うな。

 

問わなければ掴れぬ。

 

問うものが掴まれるのだ。

 

 

その道を歩む事無く、ただ、この水面の面(つら)に顔を映し、自らを見、神を見、思い馳せ給えて天に写る。

 


鏡に写る自らの心を示しなさい。

 

 

 

吉岡)身、清め給えて思い受け取りまする。
山の神、宇天(うてぃん)の神、共に自ずの役目を果たしましょう。

















精霊達を生み出す「母の樹」を発見!




















この場所を導いた地元長野県生まれの巫女の体に乗った神様たちは光と共に発光し、魂の輝きを見せてくれました。









最後に、「大正池」で今回の神事のお礼を伝えると、タクシー運転手たちも初めて見たほど珍しい虹が、上高地の山々にかかり、今回の神事の祝福とお礼を見せて下さいました。

 















 

| 600年に一度の龍体神事 | 11:11 | comments(0) | - | |
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