PROFILE

CALENDER

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

LATEST STORY

CATEGORIES

recent comment

2012.11.01 Thursday

伊良部島の神ルーツ

0

    伊良部島にある全ての御嶽は、長山港から入った人たちが牧山地区に住み着いて、豊見親比屋地御嶽(トウンピャーズウタキ)を最も重要な御嶽としてお祀りしていたからこそ、重要な拝みの時は、すべてこの御嶽から始まっていることを伊良部地区の神オジーから聞いていたので、島を離れる朝に今回のユークイのお礼に伺いました。

     

    沖縄でこういう鳥居を見た時に、大和の神社と間違って、気軽に足を踏み入れる人がいるようですが、決して入ってはいけないということを覚えておいて下さい。
     
    沖縄にある鳥居は神社ではなく、先祖の御霊が集まる「霊場」なので、勝手に、他人の家の中に入り込んだ意味になりますので、必ず、精神不安になったたり、神タタリが起こります。
     
    もし、過去に入ってしまった方は、西の方角(御霊が戻る方角)へお詫び祈りをして下さい。
     

     

     
    豊見親比屋地御嶽(トウンピャーズウタキ)の後ろの山の上には「牧山展望台」があり、この島を救った英雄ウズヌシュー様が祀られています。
     
    忘れてはいけない島の英雄ウズヌシュー様をユタと島の人たちがお金を出して建てた拝所にも、お礼を伝えに行きました。
     

     

     
    ここから見える宮古島と伊良部島を繋ぐ橋は、一度、途中まで作ったのですが、高さが足りなかったので作り直しをしています。いつになったら、橋ができる事やら・・・(^^)
     
    今回、神オジーと話しをしていて、うれしい新しい発見がありました。
     
    それは、伊良部部落の中に「大和御嶽(やまとうたき)」があることが判明したのです。
     
    沖縄全島にあるこの「大和御嶽」について色々調べても詳細がわからなかったので、直接、神様にどういう意味で伊良部島に大和の神を祀っているのかを聞きに行きました。
     
    (大和御嶽の神メッセージ)

    ここは、大和番に繋がる。誰にも言うまいと思っておったが、お前がそうであるならば、その事だけは言うておこうか。

     

    わしらが、ここに繋いだものは神ではなく、鉄器(くわ・すき)なのだ。

     

    そして、その元は・・・、我々が何処から来たかと問われれば、それは船で渡って来たが、その時に色々な島を渡ってやってきた。

     

    ここに来る前に船は宮古島、久米島、その前は沖縄本島の仲間地区にも住んでいたが、その前は、九州の中央部に永く住まい致していた民族だからこそ、琉球王朝とのやり取りの中で・・・五島列島から渡ってきた民族が、我々にその鉄器の鋳造方法を伝えてくれたことからこの技術を琉球王朝に伝え、その知恵を渡す代わりに大切な年貢を納めよという約束を取りつけておったが、我々はそれを伝承するためにやって来た者だからこそ、命令はそれぞれの場所の土地の親分がその担当となって技術を伝えてた。

     

    我々の先祖の元はと問われれば、朝鮮半島の高句麗から来ているが、さらにその元はと問われれば、中国の殷の国を統一した時に渡ってきた(十二氏族の)一部の民族であるとだけは言っておこうか。

     

    その事(鉄の鋳造技術を持っていたこと)が貿易の大きな交渉の鍵となったからこそ、お前たちにその事を伝えた意味を解っておいておくれ。

     

    私たちは、その事を解ってくれる者たちがいることを感謝しているからこそ、共に命を支えあう思いが同じであるということだけは伝えておこう。

     

    そのことをわかる者たちが来ることをいつまでも待っておるし、いつまでもその御願(うがん)をしてくれる者たちに感謝をしているぞ。これからも、よろしく頼むな。 

     

     

    (解釈)

     

    ここ伊良部島に鉄を伝えた民族は、中国の殷(紀元前17世紀から11世紀)から五島列島を渡り、九州の中央部に定住していた民族(倭国)だとわかりました。

     

    この鉄の鋳造技術と色々な鉱物を採掘する技術を持っていたことで、琉球王朝や古い時代の中国・朝鮮、そして、日本に住み着いていた民族との交渉で、優位に話しを勧めることができたことがわかります。

     

    鉄の鋳造技術を持った集団のことを沖縄の神言葉では「カニマン」と呼びますが、この技術を教える代わりに沖縄と倭国が年貢のやり取りをしていたようです。

     

    カニマンの人たちは、九州南部の岬から船が出て奄美諸島を通り、久米島も含め、いろんな島に渡ったあと、久米島に渡った人たちが、ここ伊良部島まで渡って来たことが今回わかりました。

     

    今回の神言葉によって、伊良部島に最初に渡った民族のルーツが判明したことになります。

     

    伊良部島に残っている「伊良部町史」には伊良部島に住み着いた最初の民族は、宮古島の久松地区から移住しとことと、その前は久米島から来たことまでは書かれていますが、久米島の前の歴史は誰にもわからなかったのですが、今回、神の導きで教えてもらうことができました。

     

    今でもこういう先祖のルーツを解って拝みをしてくれる人がいるおかげで、自分たちの思いが生まれた場所へ繋がるので、自分たちの先祖元へ感謝拝みをしてくれる人がいることをとても感謝しているからこそ、これからもその大切な先祖拝みをよろしく頼みますと言っていました。

     

    今回、もうひとつの驚きは、伊良部部落と仲地部落の中に、池間島から移住した人たちが土地を開墾したことを示す、「ウパルザ御嶽」と呼ばれるウタキがあることです。

     

    神オジーにその場所へ連れていってもらい、感謝祈りをしてきました。

     

    伊良部島の最高祭司役の方(伊良部部落)の方たちは、この土地に入った全ての民族の御嶽を回って、全ての先祖元に感謝していることということも覚えておいて下さいね。
     
    最後に、伊良部島を出る時はどうぞ、大主神社(ウハルズウタキ)にもお礼を伝えて下さい。
     

     
    伊良部島の玄関口を守る最高神が、この大主御嶽ですが、地元の方たちの呼び名は方言が違いますので、ウパルザ、ウパルズ、オハルズ、ウハルズなどと呼ばれています。
     
    今回、伊良部島の重要な神歴史を紐解く鍵を開けて下さり、島の神様、ありがとうございます。
     

    コメント
    コメントする