日本民族のカルマ解放 2 神道と陰陽道
2011.07.26 Tuesday 11:11

(事前情報7) 吉野宮会盟より

 

天武天皇代、679年の5月 天武天皇 皇后 および 草壁王子 大津王子 川嶋王子 おさかべ王子 しき王子、 つまり、当時の皇室関係者が全員吉野宮に集まり「ある 命をかけた誓約」を行った。

 

天武天皇が 「わたしは、 今日 おまえたちと共に ここで 誓いして、 千年の後までも無事であるようにしたい。 いかがかなー」と云う。

 

王子たちは 「おっしゃるとうりです」と答える。

 

そして、 まず草壁王子が 天皇の前に進み 「あること」を誓うのである。そして 云う。

 

「神々も天皇もご覧ください。 われわれ兄弟は全部で14人。

 

それぞれ腹違いですが、共に天皇で仰せにしたがい一致協力して、この誓約に背くことは決していたしません。 

 

もし今後、 この誓約を破ったなら 命がなくなり子孫が絶えるでしょう。

 

このことを 忘れないように、 また 失敗しないようにしましょう」

その後、あとの5人も同様に誓い、皇后は 「わたしの男の子たちは腹違いで生まれた。

 

しかし、今 ひとりの母から生まれたように慈しむ」と云って 6人の王子を抱いた。



天皇も 「もし私がこの誓いを破ったら、たちまち私の身を滅ぼす」と誓い、 皇后も同様のことを誓った。

吉野宮の会盟を皇位争奪戦が天皇死後に起こらぬようにした話だと云うのだが、なら何故、天皇自身が誓約しているのか?

天武天皇は 歴史書の作成を発布した。それが後の古事記と日本書紀で、天武天皇の死後20年を経て完成した。

 

この時代の権力者 藤原氏は、朝廷の藩屏として奈良時代以降 千年以上もの間 政権を握っていた。

その最初にあったのが、藤原不比等の歴史改ざんだった。

長期に渡って藤原氏の繁栄を支えたものが裏神道であり、陰陽道だった。

記紀改ざんの目的は、女帝の正当化で権力の維持だったかもしれない。

その時、この複雑巧妙な計画をたてたのは 裏神道の陰陽師ではないか?

 

記紀の完成とともに全国の神社へ圧力をかけ、祭神を変更させたのは、裏神道の総師だろうと推測できる。

 

藤原不比等は、 表から見える実行者に過ぎない。

 

この成功で彼らは千年以上もの間にわたり、誰にも気づかれずに時の権力の中にある。

この配下として使われたのが、全国の秦氏の支族と呼ばれる人たちだったのではないか?


秦氏は、草創期の日本にやって来た。

秦河勝以降、平野の神社組織の構築に勤める一方、山上の磐座を管理維持している。

ところが 950年ごろを境として歴史の表から姿を消す。

山上に残った民は「サンカ」などと呼ば賊民扱いされている。

 

つまり、950年ごろに彼らの目的が全て終わったのではないか?

裏神道に隠れた陰陽道組織が完成した時、山上にいた彼らの配下はそのまま捨て去られのではないか?

その後、彼らの子孫は賊民に貶められ、一般人と交わりを禁じ、事実の伝承を断ち切った巧妙な計画だった。

 

記紀の完成後には、古事記の編集者 稗田阿礼が何者かの手にかかって殺された。

歴史の完成後に殺されたというからには、古事記に関係することではないか?

 

では、太安万呂はなぜ殺されなかったか?

答えはひとつ、 殺す側の人間だった。

 

天武天皇の「あること」、これらの改ざんだったのではないか?

 

天武天皇は、占い 天文・ 時・ 暦の編集を担う陰陽寮を作っている。

 

この時の改ざんの結果として現れたのは、神社のユダヤ化。

この百年後の平安京が、エル(都) シャローム(平安)、つまり、エルサレムで ユダヤが潜んでいる。

 

裏神道は陰陽道で、 五芒星と六芒星をあわせて 11で「生命の樹」になる。

これは、ユダヤ教神秘主義のカッバーラの中心。


五芒星と六芒星が統合されるとはなにか?

それは、誰もが知っている カゴメの唄。

後からやって来たユダヤ=亀=オオザケの民=ユダヤの民=天照国照彦=神武天皇=六芒星=男神。

最初にやって来たユダヤ=鶴=オオナムチ=五芒星=女神。

四国の剣山で出会い、大和の流れになっていった。

 

また、裏陰陽道を迦波羅(カッバーラ)と言い、 カッバーラの使い手を漢波羅(カバラ)という。

キリストの世界のカッバーラと裏陰陽道の迦波羅とは同じものなので、日本神道ではカッバーラが根付いている。

神道にも表と裏があり、神社の総本山は伊勢神宮だが、 これは、表神道の頂点で、裏神道の頂点は 京都の賀茂神社である。
 
賀茂は、鴨で鳥なんだ。

神道祭祀に係わる氏族は、 何らしかの形でシンボルとして「鳥」と係わる。

鳥は天と地を行き来できる存在であり、 神と人との間を取り持つ象徴として意義があるとされているのだ。

この表と裏の伊勢神宮と賀茂神社は、表裏一体の関係にある。

神道界の総元締め的な存在が賀茂神社なのだ。

天皇家の最も重要な儀式である大じょう祭を主催し、その全てを取り仕切るのは宮内庁でも伊勢神宮でもなく 、京都の賀茂神社。

それも儀式の一切を執り行うのは 下鴨神社なのである。



(事前調査 8) 吉備真備


京都の貴船神社の所に、こんなことが書いてありました。

社伝によると、第18代反正天皇の御世、黄船に召された神が浪速の津に寄り、「吾は皇母玉依姫(神武天皇の母)なり。

恒に雨風を司り以って国を潤し土を養ふ。

又、庶民の諸願には福運を蒙らしむ。

よって吾が船の止まる処に祠を造るべし。」と宣して船をすゝめられた。

このことが上聞に達すると、天皇は木菟臣に蜑女を副えて随從を命ぜられた。

その追い付いた処が蜑女崎(今日の尼崎)といわれる。

船は、尚も海を進んでから菟道川に入り、ついで鴨川に至り、いよいよ鞍馬川と貴船川の合流点に達したが、こゝで伴神である梶取明神が梶を取って(貴船口に梶取社として祀る)貴船川を溯り、遂に今の奥宮の地に達した処、清水の湧き出づる霊境吹井を認めて、姫神・伴神こゝに目出度く上陸せられた。

そして、そこに一宇の祠を営み水神を奉齋し、黄船の宮と崇めることになったと云う。

その船は人目を忌みて石をもって包まれ、社側に船形石として千古の謎を秘めつつ、今に伝う。

古来航海や旅行の安全を願う信仰が厚く、貴船祭には、子供達が学業進達・無病息災を祈ってこの回りを駆け巡る「お千度まいり」が行われる。

 

古来日本人は、川上への憧れがあった。「澄(すむ)」という。

字は川を登ると書くように、川上は清浄な場所であり、モノを生み出す神秘の処でもあった。

それは、水を飲む時には源を思えと云われるように、もとの心を大切にする、報恩反始の精神
につながっていく。

貴船神社の御創建に関わるこの伝説も、このような遡源思想が根底にあり、万物の根源である、水に対する信仰と相まって貴船信仰として全国に広がっていったのであろう。


吉備彦神社。吉備真備
http://www.norichan.jp/jinja/benkyou/kibihiko.htm

http://ameblo.jp/koto-sanpo/entry-10549094947.html



(事前資料9)

これからご紹介させていただきますのは、彗星探索家木内鶴彦氏の知り合いの、枚方市在住の廣瀬雅夫さんという方が、大倭神宮(大倭教)の月間冊子の中に載せられたられた記事(抜粋)です。

 

枚方市、交野市、寝屋川市のある大阪府北河内地区はその昔、交野が原と呼ばれていました。

 

『私は天野川と機物神社の位置関係から逆算して、交野天神社が円形星図の中心点(北極点)であると推察しました。

遠い昔、交野天神社の位置を中心点に定め、そこから織姫星(こと座のベガ)の位置を性格に測った誰かがいたのです。

 

そこに、織物神社が建てられたんです。(木内氏)』

 

円形星図というのはキトラ古墳で発見された、北極点(星)を中心に描かれた星図のことで、また古代より北極星は位置が変わらない点の中心という事で時の権力者のシンボル的存在だったようです。

 

全てが交わる野(場所)=中心点として交野が原が選ばれたのでしょうか。

 

位置的には、日本列島を龍の形として見た時、子宮にあたる琵琶湖と男根にあたる淡路島そして産道にあたる淀川の中間に位置し、伊勢、丹後、紀伊半島も含めた近畿の真ん中に位置しています。

いずれにしても現代のような測量技術を持たないであろう古代人が、天体を使った高度な測量技術を持っていた事になります。枚方(ひらかた)は何かを作るひな型だったのでは・・・。

 

木内氏が算出した、交野天神社、織物神社、天野川の位置関係は、西暦535年に該当するそうです。

 

翌年、偶然本屋で「西暦535年の大噴火(文藝春秋刊)」という新刊本を見つけ読んだところ、世界的にこの年に政変劇などが起こっているため、火山の大噴火か隕石の落下などがあったのではないか、という内容でした。

この頃の日本は仏教が伝来(538年)し、百済など大陸とつながりがあったのではないかとされる越の国(福井県)出身の継体天皇の時代(507〜531)でもあります。

 

天野川は、生駒山系を水源とし、奈良県をかすめ母なる川、淀川に至る一級河川です。

 

山から流れてきた豊かな土(砂)により農作物がよく育つという意味で「甘い川」と呼ばれていたものが転訛したともいわれています。

 

交野市の星田妙見宮には星が降ってきた伝説があり、私は隕石の落下が世界的にあり、新しい技術・文明をもった指導者が必要になったのではないかと推測しています。

 

日本における七夕伝説発祥の地といわれ、国道1号線が交わる天の川交差点・カササギ橋・天津橋・羽衣橋といった七夕を連想する名前の橋がいっぱいあります。

 

交野市倉治に、織姫「天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおかみ)」を祀る機物神社があり、境内にある遙拝所からは交野が原のご神体である交野山(こうのさん)を望めます。

同じ境内に「タラヨウ」という木があり、この木の葉っぱは文字が簡単に書け、七夕の短冊となります。

 

弘法大使空海が交野山の麓にある獅子窟寺の洞窟に入り秘法を唱えたところ、「星の森」「光林寺」「星田妙見宮」の八丁三所に星(北斗七星)が降ったという伝説があります。

 

今でも星田という地名と獅子窟寺があり、そこに隕石がおちたのではないかと木内氏は推測しています。

 

隕石には地球上にはない純度の高隕鉄が含まれているため、時の権力者はより強力な刃などの武器を作っていたのかもしれません。

 

交野天神社は延暦6年(787年)桓武天皇が御父の光仁天皇をお祀りされたところです。

 

桓武天皇は奈良の都から長岡京へ遷都します。そして道教に則り、冬至に点帝(北極星)を祀る「天壇」を設けました。今でも枚方市には「中宮」という地名が残っています。

 

枚方市には大阪府内で2つしかない特別史跡「百済寺跡」や日本に漢字伝えた王仁(わに)博士など、百済ととても縁の深い場所なのです。

 

古墳時代につくられた三角縁神獣鏡は枚方の万年時山古墳からも出土されていますが、視点を変えて見てみると丸い取っ手と規則正しい角度とも見えるデザインは、測量のための道具ではないかと思えてきます。

 

もしかしたら古代の知識人はこの鏡と鏡伝池を使って太陽光線を反射させ、交野が原で壮大な測量をしていたのではないでしょうか。

 

都を作るためにどこかに中心点を設ける必要があり、交野市が原はひな形として選ばれ、その後この技術を使って古代の都は作られていたのかもしれません。

 

 

各星座に該当する地点と現在地  

天の川=天野川  

北極星=交野神社(継体天皇樟葉宮跡)  

織姫星(ベガ)=機物神社)、

デネブ=山の上天堂遺跡付近(マンション内の公園)  

彦星(アルタイル)=石の宝殿古墳付近  

北極点=樟葉駅近くの楠のご神木  

古代の鏡を使って測量をしたとる場所=和気神社〜鏡伝地



(事前情報10) 播磨と陰陽師

http://douman.fc2web.com/harima1/harima-onmyouji5@.htm

http://www.aurora.dti.ne.jp/~atorasu/p05/essey202.html

http://www.kougabu.com/gallery/itou/ascetic/bikuni.html


この順番でとどめが、秦氏まででてきました。広峯神社が気になります。




(事前資料11) 神鍋高原

比嘉 吉丸さんの 祈りの和blog

 

今年2月10日の 昨年から今年にかけての啓示とビジョンの中でイオン アルゲインさんが報告をした長文の中で 突然啓示を受けて神鍋に行く件がありました。

この神鍋に行った際に、ここの神様が私達夫婦に対し「ここに来るのが遅い」と最初に一喝、お叱りを受け、そして「わしじゃ、わしじゃ、わしが、このヤマトの国、日本列島、北から南まで創ったのは、わしじゃ」と日本の国を創った神様が鎮座されている場所だと確信しましたので、播磨国がこの神様をお守りしている人たちが集まった場所であると思います。

この場所には 7つの大小の火山があり、その神々様に聞きに行ったり報告に行ったりしているとのことです。

 

なので、神鍋高原まで行って、大小の火山を見て感じてのご神事。山自体がご神体のような気がします。



(事前情報12)吉岡メッセージ

さてさて、今回の情報でハッキリした事がありますのでご報告します。

 

それは、Oさんの魂にある記憶は、六芒星からの記憶なので、特にその件に関わる事に興味をそそられ、情報が入ってきています。

 

Nさんも同様に、六芒星の巫女として働かされた記憶がありますね。

 

今回、飛鳥・滋賀神事に入らない方たちはハッキリ五芒星の記憶に引っ張られている方だとわかりました。

 

自分ではその意識は無いと思いますが、感情も、人に対する思いも、実は、この部分から影響を受けています。

 

人間の感情全てが、過去のカルマに引きづられている事をよく覚えておいて下さい。

 

そして、もうこれ以上、情報を追わなくても結構ですよ。

必要な人が必要な事をする為に、今の時期に出会いが設定されているからです。

 

私は、一切、戦わずに過去全ての思いを地球で統合する役目として生まれています。

だからこそ、あとは神事の日までご自分の守護存在と対話して心を穏やかに過ごして下さいね。

 

神事に参加する方も、しない方にも関西神事の情報をシェアしている意味は、新しい調和統合を関西から産みだす事が目的だからこそ、一切、戦いのエネルギーを出さずに心穏やかにお過ごし下さい。

 

人間が集まれば必ず、感情や思いの違いによって相手の「思い」を掴みがちで、心の裏表の思いも交錯しますが、それはとても愚かな事ですし、カルマそのものだと学んで下さいね。

 

私はこれまで出会った全ての皆様の魂の覚醒の為と、過去のカルマを一掃する為に神事を行っています。

 

自分のカルマは自分で越えられないからこそ、出会っている全ての人が「魂の仲間」だと信じて下さいね。

 

明確に皆さん一人一人の過去が見えてきましたので、あとはご自分の魂と対話だけですよ〜。

神事に参加する方は、目いっぱい全員のカルマを解消する為に頑張りましょうね!

 

神事に参加できない方も、見守ってくれるエネルギーをいつも感じています。

全員きっと、神事のあとの人生が大きく変わると思いますよ!


ここまでの思いを受けて行った神事が、次の神事です。

兵庫県 広峯神社・陰陽師の里・神鍋 2011.5.11

・大阪 陰陽師結界と土地に住んだ人の思い 2011.6.14

・京都神事 一日目

・京都神事 二日目

・京都神事 三日目(七夕)

・京都神事 7月8日(最終日)

・京都神事を終えたメッセージ

 

 

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